作品434 Lockeed F-80C Shooting Star


Lockheed F-80C Shooting Star
米空軍    スウォード    1/72
米空軍初の実用ジェット戦闘機で第二次世界停戦中に開発がスタートし、実戦配備されたのは第二次世界大戦後となった。朝鮮戦争に投入され対地攻撃などの任務にあたった。
複座型練習機のベストセラー機「T-33」のベースとなった。



第2175話 P-80C 完成  
チェコのスウォード社製キット‘P-80C SHOOTING STAR OVER KOREA’ が完成しました。

完成した機体は朝鮮戦争(1950年6月25日―1953年7月27日休戦)に連合軍として参戦していた米空軍第8戦闘爆撃グループ第80戦闘爆撃飛行隊所属のもので、1950年12月大邱に進駐していた当時の機体です。

‘Lockheed P-80 Shooting Star’ は第二次世界大戦末期、米国が開発した最初の実用ジェット戦闘機で、開発当初‘P-80’ と呼ばれていました。
量産機の‘P-80A’ が納入され、飛行訓練が開始された頃には第二次世界大戦終結し、実戦投入されることはありませんでした。
1948年に陸軍航空隊から空軍が分離発足し、それ以降戦闘機の呼称を‘P’から‘F’に変更され、‘P-80’ も‘F-80’ と呼ばれるようになりました。


朝鮮戦争で実戦投入され、参戦当初は制空任務にあたっていましたが、後にソビエトや中国が北朝鮮義勇軍として送った最新の後退翼を持った‘Mikoyan Gurevich MiG-15’の高速性能と機動性で劣り、被害が増えたことから制空任務から外れ‘F-84G Thunderjet’ と共に対地攻撃任務と偵察任務を行うようになりました。


朝鮮戦争停戦後、複座型練習機のジェット化が必要となり、そのベースとなる機種として‘P-80C’ が選ばれ、開発されたのが‘Lockheed T-33 Shooting Star’ です。
‘T-33’ は飛行安定性が買われ6,500機以上が生産され、航空自衛隊でも1954年から2000年まで運用され「若鷹」と呼ばれていました。


製作したスウォード社製キットの評価は、良い点と悪い点にはっきり分けることができます。
良い点は、レジン製の座席や脚収納庫パーツを使用し、この縮尺の航空機キットとしては破格と思えるほど細部を再現していることがあげられます。
悪い点はプラ部品の成型が甘く、樹脂材料も柔らかいため変形とバリがみられる点と、パーツ番号がランナーに無いため判り難く、取り付け位置も曖昧な点にあります。
デカールは発色が良く、ベースフィルムが薄く糊強度も適当であるため貼り付け後にシルバリングが発生しない点は評価できます。
塗装指示は判りにくく、当時の写真も少ないため苦労します。完成後に空気取り入れ口内部の整流板にイエローを塗り忘れていたことに気が付き、追加塗装する羽目になりました。









朝鮮戦争で‘F-80C’ に替わり制空任務につき、多くの‘MiG-15 bis’ を撃墜した‘North American F-86F Sabre’ (エアフィックス製)と並べてみました。
 


朝鮮戦争で共に対地攻撃任務にあたった‘Republic F-84G Thunderjet’ (タミヤ製)と並べてみました。


複座型練習機で航空自衛隊の‘Lockheed T-33 若鷹’ (ハセガワ製)と並べてみました。