第1939話 突然の能登への旅


22日の夜行高速バスで家内と石川県の能登地方に行ってきました。
当初の予定では家内と金沢在住の家内の姉で珠洲市内の病院と内灘町の病院に入院中の身内を見舞いに行く予定でしたが、姉が突然の体調不良により参加できなくなり、私が同行することになりました。

  
JR藤沢駅前21時10分発の夜行高速バスで金沢に向かいました。


福井近くで日が昇り始め、高速道路脇の麦畑が朝霧で白く輝いていました。


金沢駅には定刻の7時過ぎに到着しました。
駅ビル内で朝食をとり、能登半島の先端近くの珠洲市向けの特急バスが出る10時半まで周辺を散策しました。
駅のバスターミナルでは何か懐かしい匂いがしました。その匂いの原因はバスの排気ガスで、近年神奈川を含む東京周辺では公共バスなどの排気ガス規制のためこの匂いがなくなったことを改めて気がつき、石原都知事時代の功績に改めて感謝しました。


駅から徒歩15分程の距離にある「近江町市場」に向かいました。
まだ時間が早いためか商品を準備中の店舗もありましたが新鮮な海産物などを眺め、その雰囲気だけ味わってきました。



さらに足を伸ばして浅野川大橋近くの「ひがし茶屋街」に向かいました。
この地域は文政3年(1820)に遊郭として整備された所で、美しい出格子がある茶屋が並ぶ古い町並みが現在も残されており、今回初めて訪れました。
朝の早い時間帯でもあり、観光客が少なく欧米人の団体客だけが訪れていました。


日本人の観光客と思われる人が写真を撮っていましたが、中国からの観光客でした。


茶屋街はどこも美しく、写真好きには格好の被写体になりました。





「ひがし茶屋街」で時間をつぶし、金沢駅に戻る途中の浅野川沿いの「主計町(かずえまち)茶屋街」の雰囲気も味わってきました。


今でも三味線や太鼓の音が聞こえるという茶屋街の夜の雰囲気も味わってみたいものです。


金沢駅に戻り、特急バスで珠洲市の上戸に向かいました。


上戸近くの家内の妹の家は「永禅寺」という曹洞宗の古いお寺で、有名な民話の舞台にもなっています。
鐘突堂横の枝垂れ桜が満開で、花見がまだまだ楽しめました。


庭の桜も満開でした。


昼食後、近くの市立総合病院に入院中の家内の兄夫婦のお見舞いに向かいました。
お見舞いを済ませてから家内の実家に向かいました。
家内の実家は「吉祥寺」という臨済宗の長い歴史を持つお寺で、以前訪れた時の訪問記は2008年5月27日の記事で紹介しています。
(アンダーラインの付いた紹介をクリックすると当日の記事が見られます)


家内の両親の墓参りを済ませた頃には山門にかかる夕日の影が長く伸びていました。


その日は「能登トライアスロン」のスイミングの舞台となる「鉢ヶ崎海岸」にある「珠洲ビーチホテル」で宿をとりました。


ホテル内レストランの夕食は「能登定食」という海鮮料理をいただきました。


翌朝6時頃から家内と周辺を散策しました。
鉢ヶ崎海岸は30年ほど前に子供たちと海水浴を楽しんだことがあり、このとき足元を泳ぐ魚が見える透明度に驚いた記憶があります。


近くにある「珠洲市陶芸センター」も覗いてきました。
ここには家内の姪が珠洲焼きを焼く釜があります。


珠洲市陶芸センター」の庭にあるオブジェが朝日で輝いていました。


近くのオートキャンプ場や「鉢ヶ崎温泉」などに植えられた銀杏は、芽吹いたばかりでした。
 

道路沿いに植えられた桜は満開でした。

 

珠洲ビーチホテル」前の「珠洲焼館」で販売している珠洲焼きを鑑賞してきました。


家内の姪、山田睦美さんの作品もいろいろ展示されていました。


珠洲ビーチホテル」前から特急バスに乗り金沢市方面に戻り、内灘町にある金沢医大病院に入院中の家内の叔父を見舞いました。
ここで家内は従兄弟と久々に会い、昔話を楽しんでいました。


病院での見舞いを済ませて金沢駅に戻り、今度は北陸本線富山県高岡駅に向かいました。
高岡市は「ドラえもん」で有名な藤子不二雄Aさんの出身地で、駅前には「ドラえもん」の像が建てられていました。


また、高岡駅には「忍者ハットリくん」の絵が描かれた電車も止まっていました。

高岡駅にわざわざ出かけたのは駅近くの「塩谷昆布店」で私の大好物である「黒とろろ昆布」を購入するためで、この昆布は昔「タバコ昆布」と呼ばれたことや、藤子不二雄Aさんも大好物であることを店の方から伺ってきました。


好物を購入後、近くの高岡大仏の写真を撮ってから再び北陸本線金沢駅に戻りました。


金沢駅で夕食をとってから21時発の夜行高速バスで藤沢への帰途につきました。
途中何度も地震の夢をみて目が覚めましたが、翌朝7時過ぎに無事藤沢駅に戻りました。