第1578話 フォークランド紛争と尖閣問題


次に製作するのはエアフィックス社製‘DOGFIGHTS DOUBLES’ というサブタイトルがついた‘BAE SEA HARRIER FRS.1 DOUGLAS A-4P SKYHAWK’ にします。
このキットは今年フォークランド紛争終結30周年を迎え、英国のエアフィックス社がこの戦いに参戦した英海軍機の‘BAE SEA HARRIER FRS.1’ とアルゼンチン空軍の‘DOUGLAS A-4P SKYHAWK’ の2機をスタンド付で発売したものです。


フォークランド紛争」は1982年3月19日から約3ヶ月間行われた戦いで、英国から遠く離れたアルゼンチン沖500Km程の南極近くにある英国領フォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)の領有権を巡って英国とアルゼンチンが争った紛争です。
日本では「紛争」と呼んでいますが実態は立派な「戦争」で、多くの国では「フォークランド戦争」と呼んでいるようです。


大変粗い表現ですが英国領だったフォークランド諸島をアルゼンチン軍が奪取し、これを奪還するために英国が空母2隻を含む機動艦隊を派遣し、大型爆撃機による爆撃を加えるなどして戦い、最終的には英国が奪還に成功した戦いです。

当時アルゼンチン国内は軍事政権下にあり、市民への弾圧や極度のインフレにより国民の不満が高まっていました。この不満の矛先をかわすために軍事政権はマルビナス諸島の領有権を提起し、国民の愛国心を煽り過熱化させていました。そんな中で一部の過激派が島を占拠しようとする動きもあり侵攻するチャンスを探っていました。
英国も長引く不況や硬直した政治、社会制度による深刻な財政難に悩まされており、国力が衰退していた時期でした。
英国は戦略的にあまり重要でないフォークランド諸島を条件付でアルゼンチンに譲渡することも一時期考えた様ですが、結果的に双方とも妥協しないままアルゼンチンがサウスジョージア島に侵攻し、続いてフォークランド諸島にも侵攻して戦いが始まりました。
両国とも空母、潜水艦や戦闘攻撃機など西側で生産された戦闘機材を投入した戦いとなり戦闘艦の撃沈や航空機同士の空中戦も行われ、双方で死傷者2300名を越える戦いとなりました。
英国にとって最大・最強の友好国である米国は、英国とアルゼンチンの主権問題と捉え、この戦いに軍事面ではどちらにも荷担せず、国際世論を含めた情報戦で英国に協力したとされています。


以下は尖閣諸島の領有権を巡る私の個人的な見解です。
日本政府が国有化した事に伴う尖閣諸島の領有権を巡る中国側の過激な対応と日本政府の曖昧な対応を見ていると今後の展開が大変気がかりになります。
米国防長官の尖閣諸島日米安保の対象範囲という言葉を聞いて安心している人がいたら大変な誤りであることを理解すべきです。米国務省は既にこの問題を主権問題として捉え、どちらにも組みしないと明言しており、フォークランド紛争と同じスタンスと考えられます。
日米安保における交戦規定はそれぞれの国の憲法に定める手続きに従った後に交戦権が認められる事になっており、不幸にも尖閣諸島にて武力衝突があったとしても、米軍がこれに直ちに加わる事ができず、米国議会で交戦権を認められないと手も足も出ない事を日本国民は理解する必要があります。米国議会は米国債を大量に保有する中国と日本を天秤にかけて判断することになり容易な事ではないと思います。
フォークランド諸島の領有権問題と尖閣諸島の領有権問題で大きく違うのは、ある意味で日本の首相と当時の英国首相の意思の強さかもしれません。(当時の英国首相は鉄の意志を持った女性宰相であるマーガレット・サッチャーが務めていました)
 
 詳しくはウィキペディアなどに詳しく紹介されていますので参照して下さい。