第1283話 流鏑馬(やぶさめ)と鎌倉幕府終焉の地


昨日、鎌倉鶴岡八幡宮で開催された流鏑馬神事を見に行ってきました。
流鏑馬鶴岡八幡宮例大祭の最後を飾る行事として開催されているものです。

鶴岡八幡宮では今年4月17日にも「東日本大震災復興支援流鏑馬」を開催していました。
この時はたまたま近くに出かけており、鶴岡八幡宮の外から垣間見えた姿が格好良く、次回開催されるときは是非近くで見てみたいと思っていました。


前日の稲村ヶ崎までのウオーキング疲れが残っていることもあり、昨日はバスを乗り継いで鶴岡八幡宮まで出かけました。
出かけた時間が遅かったため、既に儀式が始まっていました。


  
地元の中学生たちも装束をまとい行進していました。


流鏑馬は250m程の距離を馬に乗って疾走し、途中に置かれた3本の的を次々に射貫く神事です。
疾走する馬場周辺はロープが張られ、中に入れないばかりか既に人の壁が出来ていました。


流鏑馬が始まった当初は馬場近くに入れなかったため、目の前の僅かな視界の中でシャッターチャンスをとらえることが難しく、まして的が全く見えませんでした。

  
途中からロープで区切られた中の団体が引き上げるようになり、やっと馬場近くに移動することが出来ました。
これでようやく的を射る姿が見えるようになりました。
最初の的に矢を放ったところです。


  
近くで見ると思ったより早いのに驚きました。
最初の的に矢を放ったあと、すぐに二番目の矢を準備する必要があります。


  
そして二番目の的へ矢を放ちます。


  
見事に的に命中したところです。


馬場を疾走したあと、元の場所に戻るときの姿はカッコイイです。


  
4月17日に流鏑馬を垣間見たときの武士や馬の装束が違っていたので調べたところ、4月は武田流流鏑馬で、今回は小笠原流流鏑馬であることが判りました。
武田流流鏑馬は今月19日に同じ神奈川の寒川神社で披露されるようです。

流鏑馬が終わり鶴岡八幡宮を出た頃もまだまだ暑い日差しが残っています。

  

八幡宮前を左に曲がり、宝戒寺横の住宅地を抜ける細い道を通って東勝寺跡に向かいました。
東勝寺跡近くに涼しげなせせらぎと木漏れ日の中に滑川がありました。

  
橋を渡りしばらく行ったところに東勝寺跡がありました。


現在はただの原っぱになっていました。

  
鎌倉幕府最後の執権である北条高時新田義貞軍の鎌倉攻めで追い詰められ、最後に立てこもったのが北条家の菩提寺である東勝寺です。
ここで北条一族と家臣ら八百七十余名が自害して鎌倉幕府が滅びました。
一族が自害したと伝えられる「腹切りやぐら」が近くにありました。



鎌倉市は「武家の古都・鎌倉」として世界遺産登録を目指して現在活動中です。