第1282話 海までウオーキング


今年は夏場に入っても腹回りが成長していることもあり、週に二三回近所を歩くようにしています。
というか、64歳を過ぎ徘徊と言った方が良いのかもしれません。(笑)


先日そんなウオーキングの途中で家の近くにある石碑を改めて読んだところ「洲崎古戦場」という碑で、1333年5月18日に鎌倉幕府が滅亡に向かう大きな戦いが行われ、幕府軍新田義貞軍に敗れ最後に残った九十余名が自決したところである事が書かれていました。

  
そんなこともあり、昨日家の近くにある「泣き塔」と呼ばれるところにも初めて行ってみました。宝篋印塔と呼ばれる供養塔が立ち、背後の洞窟のようなところが北条(赤橋)守時以下九十余名が自決した腹切り櫓と呼ばれるところだそうです。


ここは有名な心霊スポットで「泣き塔」と呼ばれるようになった逸話が沢山あります。

ここを見てから新田義貞が鎌倉に侵攻した際に刀を投げ入れたという稲村ヶ崎海岸まで歩く事にしました。


まずは腹ごしらえと言うことで今月開店したばかりのラーメン屋さんで「野菜肉そば」を食べてから出発です。
ラーメンとは違った味で、「こういうのもありかな?」という印象でした。


笛田の住宅地を歩いていると軒先にクラッシックな船灯が飾ってありました。
この船灯はオイルで明かりを灯す物で初めて見ました。


笛田の住宅地から極楽寺地区に向かうトンネルです。


トンネルは狭く暗い印象で、心霊スポットに寄ってきたこともあり少々不安になりました。


トンネルを抜け狭い住宅地を抜けると稲村ヶ崎小学校があり、道路を跨ぐ通路が印象的でした。


しばらく行くと「極楽寺」の山門に到着しました。


極楽寺山門前には芙蓉と萩の花が咲いていました。


極楽寺駅前から線路沿いに稲村ヶ崎方面に歩いていると江ノ電が通過していきます。


途中にあった花が印象的でしたが名前が判りません。


途中「十一人塚」という石碑があり、極楽寺口から攻め入った新田義貞軍の11人が幕府軍の反撃に遭い、全員が亡くなった事を弔った碑でした。


稲村ヶ崎駅近くで国道134号線に出ると稲村ヶ崎です。


稲村ヶ崎新田義貞が鎌倉に攻め入る際にこの岬で足止めされ、刀を海に投げ入れ祈ったところ一挙に潮が引き、鎌倉に侵入出来たと言われるところです。


またこの地が明治43年に12人の少年が遭難した悲劇の舞台で、この悲劇を歌った「真白き富士の嶺」の歌詞と少年碑が建てられています。
今では「真白き富士の嶺」より桑田佳祐の映画「稲村ジェーン」の方が有名になりました。


海岸のサーファーがシルエットのようでした。


稲村ヶ崎から江ノ島方面に海岸線を歩くと江ノ島が綺麗に見えますが、富士山は残念ながら見ることが出来ませでした。


海岸線の道路はアメリカの西海岸やヨーロッパのリゾート地のような家並みです。


鎌倉プリンスホテルの横には息子が通っていた高校があります。


鎌倉プリンスホテル前の海岸もサーフィンを楽しむ人達が大勢います。


七里ヶ浜駅手前で住宅地に入りました。
海岸線にもある有名なカレー屋さんは、この住宅地にある店が本店です。


七里ヶ浜周辺は映画やテレビドラマの舞台になるような素敵な環境です。

この住宅地を抜け、鎌倉山に向かう細い一方通行路を登る時には体力の限界に近づいていました。


坂を登り切ったところで一休みしていると、木々の間に大きな石碑が見えました。


朽ち果てていますが「鎌倉山神社」というところだそうで、石碑には「爆弾三勇士表勲碑」と書かれていました。
上海事変の時に破壊筒を持って突入し、爆死した人を称えた碑で、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の石の鳥居を使用して作られているそうです。


鎌倉山を歩いていると獣の鳴き声が聞こえました。良く見るとリスが鳴いていました。


鎌倉山から降りる途中に「夫婦池」があり、一時期話題になった「人面魚」が泳いでいました。


地元に戻ったところでコーヒー店で一服してから帰りました。


万歩計で2万歩近くで距離は約12kmになっており、時間は4時間ほどかかり大変疲れました。