第1498話 鎌倉のあじさいと大仏坂切通し
昨日久々に鎌倉のあじさい見物を兼ねてウォーキングを楽しんできました。
息子から「あじさいを見に行くなら大仏坂切通しを通っていったら?」と提案を受け、9時過ぎに家を出て徒歩30分程の「火の見下」バス停に行きました。
このバス停前の住宅横から道幅2mに満たない細い道に入りました。
曲がりくねった道を200m程進んだところで住宅が終わり、突然山道になりました。
あまりの急変に驚きましたが、ここが「大仏坂切通し」のスタートでした。
「大仏坂切通し」は世界遺産登録申請中の「もののふ(武士)の古都・鎌倉」の歴史遺産の一つです。
鎌倉幕府は三方を山に囲まれた鎌倉を守るために鎌倉に向かう道に自然を活かした要塞「切通し」を7箇所設けました。
鎌倉の観光案内では「朝比奈切通し」や「化粧坂(けわいさか)切通し」、「亀ヶ谷坂(かめがやつさか)切通し」などが有名です。
「大仏坂切通し」は途中崖崩れなどがあり、通行する事が出来なかったためにあまり知られていませんでした。
やっと道が整備されて通れるようになり、当時の切通しの状態のまま残された貴重なものを見ることが出来るようになりました。
鎌倉に向かう道は険しく、両側を崖に囲まれています。騎馬の進入を防ぎ崖の上から敵を攻めるという自然を活かした要塞形状がよく判ります。
注) なお「大仏坂切通し」の謂れは諸説あり、現在の形は鎌倉時代の物から江戸・明治時代の改修を経て更に過去の大地震による崩壊などで形が変わっているようです。
ちなみに1333年に鎌倉幕府が滅亡した時の新田義貞の軍勢はこの「大仏坂切通し」を通ったという記録が無いようです。
新田義貞の軍勢は「化粧坂切通し」、「巨福呂坂(こぶくろさか)切通し」方面から鎌倉に侵攻したほか、「極楽寺坂切通し」では侵攻に失敗し「稲村ヶ崎」から侵攻を目指したが海に妨げられて侵攻出来ませんでした。この時に新田義貞が黄金の太刀を海に投げ入れて祈ったところ海の潮が引き鎌倉に侵攻できたという有名な話に繋がります。
稲村ヶ崎などをウォーキングしたときの話は2011年9月16日の記事で紹介しています。
(アンダーラインの付いた紹介をクリックすると当日の記事が見られます)
切通しの道は途中「大仏ハイキングコース」に繋がり、20分程で大仏トンネルを抜けた道路に降りることが出来ました。
右側の階段が「大仏ハイキングコース」です。
トイレ休憩を兼ねて高徳院の大仏も見学しました。
大仏を出てから長谷観音前交差点を左に折れて「鎌倉文学館」に向かいました。
鎌倉文学館には鎌倉で活動された著名な作家の資料が展示されています。前庭から眺める湘南の海とバラ園が有名です。
「長谷寺」には多くの観光客が訪れており、あじさい散策路に入るのに1時間待ちでした。
あじさい散策路のあじさいです。
長谷寺には何種類かのあじさいが植えられており花の形状や色の違いを楽しめました。
「長谷寺」を出て近くの「御霊神社」に向かいました。
「御霊神社」前の江ノ電の線路脇にもあじさいが咲いていました。
「御霊神社」を抜けて近くの「成就院」に向かいました。ここも参道のあじさいが有名なところです。
参道の両側にはあじさいが植えられ、その向こうには湘南の海が見えます。
「成就院」を出て更に足を伸ばし材木座海岸まで歩きました。
材木座海岸ではウォータースポーツで賑わっていました。
この地域のお祭り「五所神社 例大祭」が開かれており、御輿が海に入るのを見ることが出来ました。
材木座海岸をあとにする頃には雲の切れ目から出た日差しが美しかったです。
<付録>
二日前の6月8日にも鎌倉の「明月院」にあじさいを見に行ってきましたので紹介します。
「明月院」は鎌倉のあじさいを有名にしたお寺で「明月ブルー」と呼ばれる「姫あじさい」が多く見られるところです。