第1209話 災害復興支援ボランティア活動


6月17日の金曜日から昨日までプラモ作りを中断し、災害復興支援ボランティア活動に参加してきました。

  
6月13日に家内の携帯に鎌倉市の防災広報メールが入り、鎌倉市社会福祉協議会東日本大震災の被害に対する「鎌倉市災害復興支援ボランティア」を募集しているとの情報を得ました。
早速ホームページを調べ参加する事にしました。
今回のボランティア活動は金曜日の夜10時に鎌倉駅前からバスで出発し、土曜日と日曜日の午前中に作業を行ない、日曜日の夜に鎌倉に戻るというものです。
毎回20名の参加者を募っており、4週連続で開催される計画です。
私はこの第1回目の活動に参加しました。
  
今回参加した人達は20代の若者から私より少し先輩の方まで様々な男女が参加していました。
一行は観光バスで目的地に向かいました。

  
目的地は宮城県亘理(わたり)郡 山元町ボランティアセンターで、福島の原発から約50Km北上した所にあります。

  
土曜日は震災から丁度100日目にあたり、山元町役場入口の幟には「がんばろう!!宮城」と「がんばれ山元町」と書かれていました。

  
山元町では約1800軒の家が被害を受け、その中で400軒の家だけが人が住める状況との説明がありました。


当日の作業内容はボランティアセンターで割り振られます。

  
地域の家屋などに立てられた旗の意味が示されていました。
他に白い目印もあり、こちらは自衛隊による遺体捜索が終わった事を示しているそうです。

  

私たちは「菊地農園」というイチゴ農家の瓦礫を撤去することになりました。
この地域には多くのイチゴ農家がありましたが、浜通り地域は全滅し、中通り地域に僅かに4軒のイチゴ農家が残っただけだそうです。
常磐線山下駅近くの農園は大変広いビニールハウスが8棟ありました。意外にもビニールハウスは健在のように見えました。



ところが内部は津波により運ばれた瓦礫と砂で大変な状況でした。



早速手分けして作業の開始です。
地面に溜まった瓦礫とイチゴを育てる棚の上の土砂を集めて撤去します。



大変な埃の中での作業であり、防塵マスクとゴーグルは必需品です。
それに長身な私はヘルメットが大変役にたちました。
参加者は全員自己意思で参加された方々であり、目的意識と責任感が強く、皆さん大汗をかきながら黙々と作業を行なっていました。
私は、というと普段の運動不足と呼吸器系の持病によるためか、すぐに息があがってしまい、皆さんに対して申し訳ないと思いました。
昼食後の休憩の時に周辺の被害の状況を見てきました。



町の中にあった「居酒屋源さん復興本部」と手書きの看板が立てられた家にはメッセージボードがあり、激励の寄せ書きがありました。
そんな軒先にも赤い旗(建物も瓦礫も撤去意思)が架かっていました。


常磐線 山下駅近くのレールは津波により曲がり撤去されていました。電線も切れたままになっていました。


レールの転轍機も被害を受け、電柱も途中から折れてしまっています。



残された錆びたレールの脇には血のように赤い芥子の花が一輪咲いていました。


午後も瓦礫の搬出を行ない、瓦礫の山を築く向こうには警察による遺体捜索が行われており、複雑な気持ちになると共に一日も早く全ての犠牲者が発見されるように祈りました。


初日の作業が無事に終わり、疲れと埃まみれの身体で山一つ隔てた角田市のビジネスホテルに向かいました。
角田市に入ると津波の被害が全く見受けられず、田植えも行なわれた平穏な世界に一安心しました。
ホテルでは夕食後、一緒に汗を流した方々と地元の酒で異業種交流を図りました。



翌朝4時半、ホテルの部屋から見た日の出です。


平穏な日曜日の朝を迎えましたが、あの山の向こうには津波の被害を受けた広大な地域があります。
身体のあちこちが痛くてたまらない自分に「今日も頑張らなければ」とハッパを掛けました。


前日と同じ作業場所に戻り、他の地域のボランティアと手分けして前日の作業を進めました。
少しずつ綺麗になってきたところです。



日曜日は良い天気でビニールハウス内は太陽が差し込み大変暑くなっています。


基本的に20分作業後10分休憩のシフトで作業を進めました。
休憩時、近くの木立から聞こえるウグイスやホトトギスの鳴き声に癒されました。



それでも昼前には担当した場所の作業が終わりました。


作業が終了し「菊地農園」の後継者からお礼の挨拶を受けました。


今回の被害で父親が事業継続しないとのことで、息子が事業を継続する決心をしたとのことです。
耳だけでなく、眉ピアスをしたこの後継者は、イチゴ栽培は素人と自己紹介していましたが、これを機会に事業を復興し、来年のクリスマスにはたくさんの立派なイチゴを出荷できるように期待しています。


最後に参加者全員で記念写真を撮りました。


山元町ボランティアセンターに戻り、作業が終了しました。
ボランティアセンターのホワイトボードには作業の計画が貼られていました。




ボランティアセンターの窓に貼られた布に皆の意思が表れていました。


帰路、仙台市郊外の風呂で一服して鎌倉に戻りました。


昨日は高速料金割引制度最終日であり、東北自動車道が混雑しており、鎌倉駅に夜10時10分過ぎに到着しました。
今回のボランティア活動者参加者及び鎌倉市社会福祉協議会鎌倉市役所事務局の方々が一つのチームとして協力して無事に目的を達成したことで私も嬉しく思いました。